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因島といえば水軍城!!全国でも稀有な水軍城で、村上水軍に思いを馳せる

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現在日本で見学できるお城は200城ほどあると言われています。

その中でも、「水軍城」と名のつくお城は、因島だけなのです。

因島の水軍と聞けば、「村上水軍」の名を思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。

今回はこの因島の水軍城と村上水軍について見ていきましょう!

Contents

因島の水軍城はこんなところ!

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

ここは残念ながら村上水軍が活躍した当時に居城として築かれたお城ではなく、20世紀になって城郭風に建てられた資料館です。

この水軍城から尾根続きの山には、片苅城(かたがりじょう)があります。

水軍城がある地は、この片苅城の家老が住んでいた地と言われています。

水軍城は、昭和58年(1983年)日本の歴史学者である奈良本辰也(ならもとたつや)氏の監修により建築されました。

しかしながら、水軍城があるこの場所は村上水軍に全くゆかりがない場所ではありません。

ここは村上氏の菩提寺である金蓮寺(こんれんじ)の境内に当たる場所なのです。

そして、この金蓮寺の住職さんが、因島村上氏の資料館を作り、観光地としても発展することを願い、この水軍城が建築されたのです。

そのおかげで、因島の「水軍城」は有名になり、多くの観光客を魅了する場所となりました。

では次に、資料館ができるほどに活躍した村上氏についてご紹介します。

村上水軍(村上海賊)って?

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

村上水軍が活躍した時代は、室町時代〜戦国時代にさかのぼります。

瀬戸内海の愛媛県と広島県に位置するあたりで活躍していました。

村上海賊」とも呼ばれていることから、何やら悪さをする集団というイメージを抱いてしまう方もいるかもしれませんが、全く違います!

瀬戸内の海峡の通航料を徴収して水先案内を担い、熟練した航海術により瀬戸内を航行する船を守っていました

村上氏によって瀬戸内海の平和が守られていたのです。

戦国時代には、毛利氏や小早川氏などの有力大名と手を組み、海上輸送や海での軍事力としても活躍しました。

そこから、「村上水軍」と呼ばれるようになったのです。

この村上水軍は、毛利氏と織田信長との戦いにも参戦し、なんとその力で毛利家を勝者へと導くほどの強力な軍事力を誇っていたのです!

この村上氏は、御三家に分かれており、それが能島の村上氏来島の村上氏、そして因島の村上氏です。

因島村上氏の最盛期を築いた人物は、6代当主の村上吉充(よしみつ)です。

先に記した織田信長との戦いにも参戦しています。

因島村上家にまつわる歴史遺産には、この村上吉充の名が度々登場するので、覚えておきたいですね。

因島村上水軍(村上海賊)については、下記の記事でも紹介しています。

因島の水軍城・見所を紹介!!

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

では今度は水軍城について見ていきましょう。

水軍城は、本丸・隅櫓(すみやぐら)・二の丸の3つの建物に分かれています。

本丸

ここでは、村上水軍にまつわる資料が展示されています。

古文書や戦術が記された巻物などの他、様々な種類の鎧や兜、刀などの武具他、あらゆる貴重な資料を目にすることができます。

また重要文化財に指定されている、新蔵人の官位を与えられた村上吉充の肖像画や、鎧の一種である白紫緋糸段縅腹巻(しろむらさきひいとだんおどしはらまき)も見逃せません。

この腹巻きは、吉充の息子の元服の際、小早川隆景より与えられたものです。

本丸の出入り口あるショップものぞいてみましょう!

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

隅櫓(すみやぐら)

ここには、毎年因島で行われている「村上水軍まつり」の様子が写真で紹介されています。

またここは展望台にもなっているので、小高い山城からの眺めを楽しむことができます。

二の丸

畳の部屋では、武者人形によって戦法会議の様子が再現されています。

瀬戸内で最強の水軍として活動していた村上氏の作戦とは、どのようなものだったでしょうか?

この畳の部屋は、イベントなどへの貸し出しも行っているのですよ。

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

金蓮寺(こんれんじ)

水軍城のふもとには、村上家の菩提寺である金蓮寺があります。

お寺の周りの山肌に墓地があり、お寺の裏側には村上家代々のお墓である五輪塔もあります。

金蓮寺から水軍城へ上がって行くこともできますが、水軍城から行く方が下り坂になるので歩きやすいですね。

水軍城を訪れた際は、一緒に訪れたいところです。

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

因島水軍まつり

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

村上水軍は、今でも因島の人たちの中に生きています。

因島では、毎年村上水軍を再現するお祭り、因島水軍まつりが行われているのです。

「島まつり」「火まつり」「海まつり」の3部構成に分かれ、因島地域の住人総出で盛り上がります!

その3つのお祭りを、詳しくみていきましょう。

島まつり

お祭りの第一弾である島まつりは、村上水軍の出陣式から始まります。

水軍まつりの成功を祈願し、先人への感謝を示すのです。

武者鎧兜を身につけ、因島の各城からいざ出陣です!

お祭りの流れは下記のようになります。

因島の各町にある城(公民館)で出陣の儀式の後、島まつり会場(しまなみビーチ)へ行進出発 → 水軍太鼓に合わせ、各陣武者 会場へ入陣  → 村上水軍の村上吉充(役)に、聖なる火を授与 → 全員揃って、「いざ出陣!」の勝鬨をあげる

火まつり

第2弾の火まつりは、夜に行われるお祭りです。

任務を終えた村上水軍が、夜に帰還した喜びを祝うのです。

跳楽舞による喜びの舞、はねくらべコンテスト → 松明が灯る夜の浜辺に、水軍武者が入陣 → 大筒花火の打ち上げ → 参加者、お客様総出で跳楽舞「喜びの総踊り」

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

海まつり

3部構成の最後をかざる海まつりは、文字通り海の上で行われます。

村上水軍の木造船を再現した「小早(こはや)」のレースが行われるのです。

漕ぎ手14人と太鼓打・船頭を加えた16名で、1Kmのコースを競います。

一般・レディース・小学生・中学生の4つの部門に分かれています。

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

このお祭りで着る武者鎧兜は、1枚1枚熟練した職人の手によって作られているそうです。

村上水軍が生きた時代を丁寧に再現することにより、天地人の教えを体感し、伝承していきます。

そして、さらには村上水軍だけではなく、先祖への感謝の気持ち、生きていること、協力しあうことの喜びを感じる、因島地域の人たちにとってかけがえのないお祭りとなっているのです。

水軍まつりは8月中旬から下旬に行われておりますが、変わる場合もありますのでホームページなどでご確認ください。

2023年は8月26日(土)に島まつりと火まつり、8月27日(日)に海まつりが行われます。

2019年以来4年ぶりの開催となります!

因島の水軍城・基本情報

スクロールできます
営業時間9:30~17:00(入城は16:30まで)
※1月2日、1月3日は10:00~15:00
定休日木曜日(祝日の場合は営業)、12月29日~1月1日
電話番号0845-24-0936
交通 しまなみ海道 因島北I.C.からは県道367号を進み車で約5分、因島南I.C.からは国道317号を進み車で約10分
因島島内バスをご利用の場合は、水軍城入り口下車後徒歩10分
WEBサイトhttps://kanko-innoshima.jp/sightseeing_leisure/suigunjo
駐車場無料駐車場あり
料金大人330円(団体30人以上220円)
小人160円(団体30人以上110円)小学生~中学生
住所〒722-2211広島県尾道市因島中庄町3228-2

まとめ

因島の水軍城を知ることによって、因島と村上水軍の関わりの深さを感じましたね。

穏やかに続く瀬戸内の平和な海は、村上水軍によって守られていたことがわかりました。

水軍城を訪れて村上海賊へと思いを馳せた後、今度は村上水軍の鎧兜を身につけたお祭りに参加してみてはいかがでしょうか?

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