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因島といえば村上水軍(村上海賊)!!歴史遺産で村上水軍に想いを馳せる

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この記事のタイトルを読んで、「瀬戸内海に海賊がいたの!?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、まずはじめにお伝えいたします。

この村上海賊とは、海で略奪・侵略などを行う野蛮な人たちではありません!

では、因島で活躍していた村上海賊とはどんな人たちで、水軍城とはどんなところなのか、一緒に見ていきましょう。

Contents

因島の村上水軍(村上海賊)って?

室町時代から戦国時代にかけて、広島県と愛媛県に属する瀬戸内海西部、芸予諸島の海で活躍していた一族がいました。

当時は彼らのことを「村上海賊」という言葉を使って呼んでいましたが、活動内容は芸予諸島の海峡を関所に見立て通航料を徴収し、案内人として瀬戸内の安全を守ることでした。

彼らは漁業にも従事していたのです。

一方で、毛利氏や小早川氏などの有力大名と手を組み、海上での戦いや兵糧の輸送などを担うことで勢力を拡大していきました。

そのような軍事勢力として、「村上水軍」とも呼ばれています。

村上氏は、3つの拠点に分かれて活動しており、それぞれ因島村上家・能島村上家・来島村上家と呼ばれています。

村上水軍が活躍した有名な戦いの1つに、1576年村上水軍が毛利氏に加勢し、織田信長の船団をやぶった第一次木津川口の戦いがあります。

2014年の本屋大賞にも選ばれた小説『村上海賊の娘』に登場する村上海賊は、この戦いで活躍した能島村上家、村上武吉の娘が主人公となっています。

因島村上家では、第6代当主の村上吉充(よしみつ)がこの戦いに参戦しています。

吉充は因島村上家の最盛期を築いた人物なのです。

1555年の厳島の戦いで毛利・小早川氏への加勢して以来躍進をとげた吉充は、新蔵人(しんくろうど)の官位を与えられました。

そんな因島村上家の活動を詳しく知ることができる、資料館を訪れてみましょう。

因島の村上水軍といえば「因島水軍城」

因島の丘の上に建つ山城は、因島水軍城と呼ばれています。

しかし、ここは村上家が活躍していた当時に村上家の居城となったお城ではありません。

昭和58年(1983年)に歴史学者の奈良本辰也(ならもとたつや)氏の監修により建設されました。

本丸・二の丸・隅櫓(すみやぐら)の3つの建物からなるこのお城は、村上水軍の歴史資料館として一般公開されています。

本丸

村上水軍の資料の常設展示場となっています。

因島村上軍が使用した甲冑や刀剣などの武具や、戦術を記した巻物などの古文書が展示されています。

因島村上家の最盛期を築いた6代目当主の村上吉充の肖像画や、吉充の息子の元服に際して、小早川隆景より拝領したという白紫緋糸段縅腹巻(しろむらさきひいとだんおどしはらまき)など、数々の重要文化財が展示されています。

隅櫓(すみやぐら)

「因島水軍祭り想いの館」と呼ばれる部屋で、因島水軍まつりの写真が展示されています。

因島水軍まつりとは、鎧や兜をつけて村上水軍を再現し、村上水軍が残してくれた教えを伝承し、祖先に感謝をあらわすお祭りとして、毎年行われています。

二の丸

ここでは、鎧をつけた武者人形による戦法会議の様子が再現されています。

当時の様子を思い起こし、一緒に会議に参加している気持ちを味わってみましょう。

また、この17畳の二の丸は貸し出しも行われています。

因島・白滝山は村上水軍ゆかりの地

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

”白滝の山に登れば眼路広し 島あれば海 海あれば島”

歌人の吉井勇は、因島の北部にある標高226メートルの白滝山展望台からの眺めをこのように詠みました。

歌にあるように、白滝山の展望台からは見渡す限り瀬戸内の島々、しまなみの海を見渡せる絶景スポットとして知られています。

この山もまた、因島村上水軍ゆかりの地の一つなのです。

1569年6代当主村上吉充は、現在因島大橋がかかる海峡 布刈瀬戸(ぬかりせと)を見張る場所として、この白滝山に観音堂を建てたのです。

またこの絶景を誇る白滝山では、展望台からの景色の他にも見逃せないものがあります。

それは、700体にも及ぶ、大きさや姿形、表情などが異なるさまざまな石仏群です。

時は江戸時代後期、柏原伝六(かしはらでんろく)は神道・儒教・仏教・基督教を融合したと言われる『一観教』を開き、弟子や石工たちを集めて白滝山にこの石像を築きました。

釈迦三尊像、天狗像などの他、伝六夫婦の像もあり、見応えのあるおすすめスポットなのです。

駐車場からは石段を20分ほど歩いて登るので、歩きやすい靴で行きましょう。

桜や紅葉シーズンもまた素敵ですよ!

白滝山は下記でも紹介していますので是非ご覧ください。

因島・村上水軍のその他歴史遺産

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

因島には村上水軍にまつわる歴史遺産が他にも満載です。

下記にいくつかご紹介させていただきますので、村上海賊のさらなる足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

地蔵鼻・美可崎城跡

因島村上氏が守る関所の一つとして築かれた美可崎城は、因島の南東部に突き出る半島にあります。

この岬の先端部は地蔵鼻と呼ばれています。

浜辺にある「鼻の地蔵」には、村上海賊によって捕らえられた女性の悲しい逸話が残されています。

引用元:おのみちや(https://www.ononavi.jp/onomichiya/)

長崎城跡

因島南部に位置する、因島村上氏の初期の頃の拠点と言われている場所です。

現在はホテルナティーク城山が建っており、高台に建つホテルからはしまなみの美しい海が見渡せ、かつて瀬戸内の海を守ってきた村上水軍が偲ばれます。

新鮮な地魚を使ったレストランの料理もおすすめですよ。

青木城跡

村上吉充の頃、拠点をここに移し居住していたとされています。

現在は住宅街を通って行き着く小山となっています。

山頂部には青木城跡の碑が立てられており、龍王神社が祀られています。

まとめ

村上海賊は、関所での通航料の徴収などを通して、瀬戸内の安全を守るために活動していました。

そして、戦国時代には有力大名とも手を組み、6代目村上吉充の時代には最盛期を築きました。

村上氏の拠点の一つであった因島で、水軍城、白滝山をはじめ村上水軍ゆかりの地を巡り、瀬戸内の歴史を知る上では欠かせない村上海賊に思いを馳せてみませんか?

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